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観光地で「おみやげ」を買うのは日本人だけ? [時事トレンド]

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観光に行くと、多くの人が当たり前のように購入する「おみやげ」。

これが日本独特のものだということはあまり知られていない。おみやげが日本で独自に発達していった理由を、各地のおみやげの豊富な事例とともに考えるのが『おみやげと鉄道 名物で語る日本近代史』だ。著者の鈴木勇一郎氏に聞いた。

―海外におみやげはないのですか?

「おみやげの英訳は『スーベニア』とされていますが、両者は似て非なるもの。スーベニアというのは本人のメモリアルのために買ってくるもので、欧米の駅で売られているのはキーホルダーや置物などの非食品が中心です。しかし、日本のおみやげは饅頭とか羊羹ようなお菓子、その土地の名産というような食べ物が多い。それも、自分で食べるのではなく人に配り歩くためのものでしょう」

―ハワイにはマカダミアナッツがありますが……。

「あれは日系人が作ったもので、日本のおみやげ文化の影響抜きで考えることはできません。ほかにも、フランスにはモンサンミッシェルのクッキーのようなものもありますが、それらは例外といえるでしょう。欧米のおみやげ屋で、食べ物を扱う割合は日本と比べて圧倒的に低い」

―中国や韓国の観光地には菓子類のおみやげがあります。

「おっしゃるとおりです。しかし、伊勢の赤福や草津の姥(うば)が餅など、日本のおみやげは土地の歴史に由緒づけられたものがほとんどです。が、中国などでそういうことは一般的ではありません」

―なるほど。日本では、おみやげっていつ頃からあるんですか。

「発祥ははっきりしませんが、有力な説としては、神社にお参りするときにお供え物を入れる器の『笥(け)』から転じた、というものがあります。そうした神仏にささげられたものに対して、人は神酒(みき)などを賜り、神前で酒食を共にすることで、人々には『おかげ』があったとされる。その『おかげ』を家族などに報告するための証拠の品として、酒盃(しゅはい)などがあった。これがおみやげの始まりといわれています」

―当時はお饅頭などの食べ物ではなかったんですね。

「保存技術も発達していなかったし、歩き旅だったので、薬品、お札、耳かきなどの軽くてかさばらないものが中心でした」
―それが、近代に入り鉄道網が整備されてくると食品が増えてくる。

「そうです。例えば、静岡の安倍川餅(あべかわもち)は、もともと安倍川のたもとの茶屋で売られていて、その場で食べるものでした。それが鉄道網の発達に伴い、餅が求肥(ぎゅうひ)になりました。求肥は餅と比べて保存性が高い。餅を求肥にした安倍川餅を『大偽物』と批判する人もいましたが、こうした変化もあって安倍川餅は静岡駅の名物のおみやげとして成長していったのです」

―本では、伊勢の赤福餅や岡山の吉備団子(きびだんご)など、近世ではメジャーではなかったものが、時代の変化にうまく乗っかって名物となっていくさまが描写されていますね。

「赤福餅は皇室ブランド、吉備団子は日清戦争が名物みやげになる大きなきっかけでした。おみやげという風習は昔からあるように思われるかもしれませんが、鉄道や軍隊、皇室、ほかに博覧会というような近代国家を支えてきた装置と深い関わりがあったんです」

―こういったおみやげに関する研究は盛んなのですか?

「発祥などについては文化人類学的な研究が進んでいますが、近代的なおみやげがどう成立したかについては手薄ですね。ひょっとしたら、日本史研究者の多くが、甘いものは苦手なお酒好きだったことが一因かもしれません(笑)」

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